人生の「勝ち組」と「負け組」って誰が何の基準で判定しているの?

僕は貧乏な家庭で育ちました。
子供の頃は貧乏が恥ずかしかったです。

貧乏は恥ずかしいだけではなくて、
とても辛くて苦しいものでした。

何が辛くて?
何が苦しかったかというと?

「食べる物がなかった」からです。


僕は6人家族でした。
兄弟が4人もいたんです。

僕達兄弟が小学生の頃、まさに貧乏の真只中でした。
今日、食べるお米がなかったんです。

1週間ほど、段ボール箱に入っていたジャガイモを、
毎日毎日、夕飯として食べていたんです。

お昼ご飯は、学校の給食です。

僕達兄弟の、
唯一の栄養補給源が「学校給食」だったんです。


そういった貧しい生活をして来た僕は、
現在、53歳になり、どのような暮らしをしているかというと、
貧乏とまでは言いませんが、低所得世帯です。

家族と同居しているので、
家族の協力で暮らせている感じです。


僕はいつも思っていました。

「もし?」
「俺が金持ちの家に生まれて来ていたら?」
「サッカーでプロを目指せただろうな」
「たくさん食事を摂って栄養を摂れただろうな」

このように過去を振り返って、
「あの時、こうだったらな・・・」とモヤモヤしていました。


53歳になった今、いろいろと見えてきました。
僕の家庭が貧乏だった理由が解りました。

また、貧乏な家庭で育った人は、
貧乏な家庭を築きやすくなる可能性が高いことも。


世の中の多くの子供達は、
「親の背中をみて育つ」と言われています。

貧乏な親の背中をみて育つから、
貧乏な生活習慣をマネてしまうんです。


反対に、
裕福な親の背中をみて育つから、
裕福な生活習慣をマネて成長できるのでしょうね。


貧乏な親の生活習慣って、どのようなものでしょうか?
裕福な親の生活習慣って、どのようなものでしょうか?


僕の父は、ギャンブルが好きでした。
お酒が入ると気が大きくなって暴言を吐いて他人を困らせる人でした。

僕はサッカーが大好きでした。
チームメイトの誰よりもサッカーボールに触れていました。
それなりに上手になりました。

サッカーを愛していた僕に父は言います。

「サッカーなんて辞めて、競輪の選手になれ!」

こんな事をいう親でした。
子供に夢を諦めさせて、自分が好きなギャンブルのコマにさせたかったみたい。


そういう親からの「刷り込み」が多々あったと思います。
ネガティブな思考などね。

でも、幸いに僕は父の事が嫌いだったので、
父からの「刷り込み」や「押し付け」「強要」を無視していました。


そして、中学2年生の時に、両親が離婚をしました。


父が家を出て行ったんです。

母、姉、僕、妹、弟の5人家族になりました。


中学生でしたので、思春期でもあったし、
「母子家庭」というのが恥ずかしかったです。
貧乏な家庭が、更に貧乏になりましたしね。

まあでも、その貧乏なお陰で、
「なにクソ精神」が磨かれたと思います。

世間の常識にとらわれずに、
自分の意志で、自分らしく生きて行けたと思います。

中学生の頃にアルバイトをしました。
家の近所にある「釣り堀」でアルバイトしていたんです。

日払いで給料を頂き、
給料の一部を「こずかい」にし、残りは母に渡していたんです。
生活費としてね。


アルバイトの日に、
職場へ行く道中で、クラスメイトと遭遇したことがある。
みんなで楽しそうにしていました。

僕は思った。
「俺と、こいつらと住む世界が違うんだな。」って。

そうでも思わないと、何だか辛くてね。


家族のために、食べる物を買うためにアルバイトをしていた。
しかしね、苦労ではなかったんです。

というのも、
釣り堀って楽しいんです。
僕は魚釣りも大好きでしたので、釣り堀の仕事が「遊び」でもあったんです。
だから、好きなことをしてお金を貰えていたんです。

そして、食べたい物を買って食べれたんです。

だから、アルバイトをしていて、
辛いと感じた事はありませんでした。

いえいえ、もっと稼ぎたい!と思ったほどです。
稼げば稼ぐほど、自分の欲しい物が手に入るのですからね。


僕の親は、どちらかというと「反面教師」だったと思います。
それが良かったと思う。
そのお陰で、僕は「なにクソ精神」が養われましたので。

また、もしも?
僕が裕福な家庭で育っていたなら?

僕には「なにクソ精神」が養われなかったと思う。

裕福な家庭の親だから、
良い生活習慣を教え込まれ、そこそこ成長できたでしょう。

しかし、裕福な家庭で育っても、
成長できない子供も多いようです。


それは、
裕福な家庭といっても、お金がたくさんあるだけで、
子供への愛情が薄い家庭も多いようです。


裕福であっても、貧しくても、
親からの愛情が注がれていれさえすれば、
子供はまっすぐに育つようです。


結局のところ、
貧乏だろうと、裕福だろうと同じ。

親からの愛情次第なんだなって。

そして、自分の人生なのだから、
自分で決めることなんです。


僕は貧乏な家庭で育った。
父から暴力を振るわれて父が嫌いでした。

父は、命令する人でした。

それが良かった。

父から命令されても、
僕が嫌だと思ったら、嫌を通した。

他人に指図されないで、
自分の意志で決めることができたんです。


世の中を見渡すと、
「世間体」を気にしたりする人も多いです。

「世間の常識」に囚われて、
自分らしく、自分のやりたいことが出来ない人も多いです。

その点、
僕は命令する父を嫌いになれて、
他人から指図されないで自分で意思決定できたのです。
反面教師の父に感謝です。


そういったことで、
裕福な家庭で育った子供は、
裕福な親から教育されて、親と同じような家庭になりやすいです。

貧乏な家庭で育った子供は、
貧乏な親から悪い影響を受けて、親と同じような末路になる場合が多いです。


裕福な家庭で生まれた人が「勝ち組」なのか?
貧乏な家庭で生まれた人が「負け組」なのか?

僕には断言が出来ませんが、
どちらの家庭に生まれたとしても、
自分の進路を選択するのも、決断するのは自分自身です。


僕は、貧乏な家庭で育った。
毎日、ジャガイモばかり食べていた。
学校の給与が栄養源でした。
父親の暴力、暴言で悔しかった。

反面教師の親がいたお陰で、
「なにクソ精神」が養われて、自分らしく生きて来れた。


裕福に暮らすのも、貧乏な暮らしをするのも、
結局のところ自分次第なんです。


貧乏な家庭で育った人は、
その暮らしが嫌なら稼げばいいんです。

貧乏な家庭なら、発想を変えて、
田舎暮らしをして、自給自足をすれば良いんです。
最小限のお金を使わない生活を目指せばいいんです。


裕福な家庭に生まれてきても、
貧乏な家庭に生まれて来ても、
そんなこと、どちらでもOKなんでしょうね。

どちらにも「メリット」があるように思います。

いえいえ、
どちらの家庭に生まれてもデメリットもあるんですからね。


裕福な家庭に生まれて来た人は、
裕福にあぐらをかいて、他人の気持ちが解らない人も多い。

貧乏な家庭に生まれて来た人は、
貧しい人達の気持ちを知っていて、手を差し伸べることが出来ます。


僕は、どちらの家庭に生まれて来た方が良かったかというと、
どちらでも良かったと思います。

どちらの家庭に生まれてこようと、
自分の人生を決めるのは自分ですから。


唯一、どちらの家庭に生まれて来た方が良かったかというと、
「愛情を注いでくれる両親」の元に生まれたかったです。

貧富なんてどうでもよくて、
親が子供を愛してくれる事の方が大切だと思いました。


今、自分が貧乏だと感じるのは、
自分がその道を選んで、歩んできた事実なんです。
他人の責任ではなくて自分自身が判断した結果なんです。

自分がもし、
今、裕福なのは自分が裕福に暮らそうと決断した結果です。


裕福っていうのは、
人それぞれの価値観の違いもありますが、
「目の前の事に感謝が出来る」状態ではないでしょうか。

今、生きていて幸せだなと感じれること。

お金がたくさんあるか、ないかで幸せは決まらないはず。
お金は、たくさんあれば困りませんが。(笑)

お金がたくさんあっても、使いきれませんからね。


人間、誰でも死にます。

リセットされるんです。

だから、
そんなに気張って生きなくてもいいんじゃない。

自分なりの幸せを感じて生きればいいんじゃない。

この世が終わって、
次の世界があるなら?

今の世の中でダメだったとしても、
次の世界で1からのスタートだからいいじゃん。
次の世界でリベンジすればいいじゃん。

そんな感じで、僕は今を生きています。


最後に、
人生の勝ち組、負け組って言葉がありますが、
みなさんはどう思いますか?

誰と戦っているんだろう?

それは、
自分自身との戦いなのかなって思います。


自分なりに、自分が幸せだと感じるものを見つけ、
幸福感に包まれながら生きること。
これこそが人生で1番の幸せではないでしょうか。

幸せの価値観も十人十色です。

他人の意見は他人の価値観でしかありません。
他人の価値観を押し付けられて鵜呑みにしてはいけないです。

自分の価値観を大切にしたいですね。


人生の勝ち組も、負け組も、
そういった判定をするのは他人です。

他人の価値観に振り回されないように生きたいですね。



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